虎太郎が好きなんです♡

犬ばか美容師♡

人間の言語で左右されるもの①

かなり久々の更新になります。

と言うか最近あまり動物問題というか

そういうものに触れずの生活だったので

愛犬たちと変わらず、のんびり暮らしておりました。

 

と言う中の久々の更新です。

 

と言うのも、めったに犬関係の番組って見ないのですが

先日、珍しく見たんですよね。

NHKでやっていたプロフェッショナル仕事の流儀と言う番組で

犬特集でした。

 

トリマーさん、獣医師さん、あと訓練士さんが

その道のプロとして紹介されていましたが

ちょっと、うん???と思ってしまったのが

この終盤に紹介された訓練士さん。

 

まぁ噂はかねがね聞いていましたし

一般の人では手に負えない、いわゆる「噛み」と言った

問題行動を持った犬を専門に扱っている訓練士さんとのことで

結構リスペクトされてる飼い主さんがいましたしね。

また問題行動を引き起こしたことによって

センターに収容された犬を処分と言う形ではなく

引き取り最後まで生かし救うことにも信念を持たれているとのことですから

保護活動していたり、また処分ゼロを訴えている方にとっては

神のような存在ではないでしょうか。

 

活動や信念は素晴らしいと思います。

なかなか出来る事ではないですよね。

 

で、その番組を見て多くの方が称賛していましたし

感動して涙した方も多かったようですね。

 

こうした問題を国営放送で放送した意味では

たくさんの人が考えるきっかけにもなったと思います。

 

私自身も「考えるきっかけ」を与えてもらった意味では

見てよかったなと思いました。これは率直な感想です。

 

ただし私の一個人の感想としては

とても感動するものでも称賛に値するものでもなく

むしろ恐ろしいことだなと言った気持ちが一番だったかな。

 

何が恐ろしいなと感じたかと言うと

噛みや攻撃と言った人間にとっては不都合な犬の行動を

体罰を用いた方法で矯正すると言うやり方の訓練士さんなので

それは以前から聞いてはいましたが

リアルに見ると、ちょっと想像をはるかに超えるものでした。

むしろ今この時代に、間違っても推奨できないやり方だと思っています。

20年前くらいは、あのやり方は一般的だったかもしれません。

 

まだまだアルファ論や様々な犬のことが「仮説」だった時代です。

けど今は違います。どれほど多くのことが20年前にくらべ

当時は見つけられなかった真実が見つかり

当時は究明されていなかったことが解明され

多くのことが、より良くなるために推奨されてきているか。

 

もうそんなこと一切除外された「自己論」に過ぎないんですもん。

正直、「プロ」であれば尚のこと、

志や覚悟は素晴らしいですけど、さも当たり前にように

体罰を愛情と言う言語をかぶせて正当化するなんて

言語の理解できない犬に対して人間の都合よくはめるべきじゃないです。

 

こんなこと、単純なことすぎる当然のことだと思ったんですけどね。

 

もしあれがテレビ向けの演出ではなく合成でもなく

本当に日常光景なのであれば、もう体罰と言うより虐待だなと思います。

 

賛同された方や肯定していた方の意見の中は

ほとんどが、まず犬の為を思っての愛のムチと言う受け止め方をしていましたね。

その他、ああしなきゃ処分される命だった、とか人がやらないことをやっているとか。

 

ナレーションと訓練士ご本人の言語の解説が加えられているので

言語によって、その内容を解釈する人間の視点から見ると

あの虐待行為も、全て愛になるようです。

 

なんか、こういう書き方をすると

けして絶賛してもないし賛同も称賛もしていないので

単なる批難とか下手すると誹謗中傷だとか言い出す人が

出てくるんだろうなぁ。

 

ブログを引用されたりリンクされて

「言うのは簡単、だったら自分でやってみればいい」とか

やりだす人もいそうな・・・ww

 

そういう次元のネタにされるのは、ちょっと不本意なんですが

非難するつもりはないですが、やり方としては、個人的に完全否定です。

 

少なくてもこの訓練士さんが「プロ」と名のるのであれば

なおさら、そう思います。

 

そして、この訓練士の元に藁をもすがる気持ちで

相談に走る人が増えているのであれば

その現状も問題なんだろうなと思いました。

 

一応タイトルには①としておきました。

なぜ、あれを虐待と感じたか等は長くなるので

また時間のあるときにでも書こうかな~と思います。

 

では☆おやすみなさい。

 

 

 

 

犬が好きならば無駄な試練は与えないでほしい

 

もうタイトルそのまんま。

本当に最近またこれを思うようになった。

 

犬を救いたい、助けたい、

なんとかしなきゃ死んでしまう

生きてこそ幸がある

 

人間の史観で、人間がやりたい事をやる中で

例えそれが人間から見ての善意であっても

本当にそこにある「犬のココロ」は

どこまで考えているのかと言えば

どう捉えても、人間の史観と感情論しか見えてこない。

 

どこまで「犬のココロ」を考えているか。

犬のためだと言いながら

完全に欠けているのは、この部分と言うのは

致命的な事だと思う。

 

犬を人間の生活の中に入れて

愛情をかけて共に暮らしていくというのは

人間の管理下に置くことで安全や安心と言った

保証は確実にある。

 

けれど、犬と言った動物的な視点で考えれば

動物としての本能の部分など

様々な抑制を与えなければならない訳です。

 

野生の中で犬が思うように好きなように生かす訳ではないのだから

この理屈は頭を悩ませなくても解りきった事です。

 

人間の暮らしの中で人間の社会的なルールを

教えていくことで、その犬が安全と安心を得ることができます。

 

もし犬が好きなように自由に生きていいならば

そんな事を教える必要もないわけです。

 

散歩でリードも不要でしょう。

避妊去勢も不要でしょう。

手入れも不要でしょう。

トイレトレーニングも不要でしょう。

コマンドも不要でしょう。

 

けどこうした、ひとつひとつの事は

人間と暮らしていく中で、安全に、または

人間にとって脅威となる存在にならない為にも

人間側が必要としている部分なんです。

 

人間の管理下にある犬は

野生で自由に生きている動物ではなくなります。

人間の暮らしに合わせた本能の抑制や

コントロールをする事が大前提になります。

 

けれど、そこには安全と安心があります。

その中で犬は人間との暮らしに順応していき

時間をかけ少しずつ、安らぎを得ます。

 

犬は人間と暮らす上で

人間にとって当たり前のことひとつ

全て学び、学習しているんです。

 

普通に人間と暮らすだけでも

たくさん頑張ってくれます。

 

それなのに、それ以上に

人間の勝手なる解釈と

人間の都合のいい美談にするがために

これ以上に試練を与えるような

保護活動というものが

あまりにも目について、本当にいたたまれない。

 

 

前にもブログに書きましたが

野犬として生きてきた人間と接触のなかった犬を保護し

抵抗しているのに首輪とリードを装着して

強引に散歩に連れ回し、慣らそうとしている

ある保護活動家の動画。

 

首輪をつけてリードをして散歩をする行為を

当たり前に考えていて、かつ数をこなして

毎日やれば慣れるだろうとでも言いたいのか

その数秒の動画の中にすら

この保護活動家の身勝手な人間軸の考えが

露骨に出ていたと思う。

 

犬は好きなんだろうが

こういうのを愛情の押し付けというんですね。

 

 その犬が自ら選択する、その行動の先に

私達、人間にとっても良い結果をもたらすこと。

それは基本だと思うのです。

 

強制することではなく、その方向へ導いてあげること。

 

それがどういう事なのか、何を意味するのかが

理解できていない人が、様々な習性があり

様々な環境の中で、それぞれ違った個性を持つ動物に対して

人間の都合にはめ込もうとやっている行為は

強制という虐待と言ってもいいんじゃないかと思うのです。

 

そして、こうした基本的な部分、

犬の気持ちやココロを汲み取っていこうということに

視点がない人の場合、自身のなんの根拠もない

ただの経験値だけを語り当然のように犬を扱います。

 

ある行動学に対する意見を倫理的に述べたら

「どこの偉い方が言ってるのか知りませんが」と前置きされ

ご自身の思い込みと経験値からの根拠ない反論をされたことがありますが(笑)

 

どこの偉い方が・・なんて言い出す段階で

基本的な事が叩きこまれていない証拠を露出してるようなもの。

 

そも、人の話を聞き、また学び、

その姿勢が全くないのも

「経験値の思い込みと押し付け」でしか

動物に接することが出来ない激昂型の方が

多いようにも感じます。

 

 

人間社会で暮らす犬に

無駄な試練は与えないでほしい。

本当に痛切に願いたいことです。

 

 

白でもなく黒でもないのはグレーです。

黒でもなく

白でもない

混ざり合った

いわば「曖昧な色」が

グレー

 

なんてのは誰もがわかる事で

よく人間の決め事や問題の中にも

白黒どっちつかずでグレーなんてのはあるし

優良か劣悪かどっちつかずでも

グレーゾーンなんて言ったりしますよね。

 

まぁ、解説要らぬ話なんですが(^_^;)

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

世の中、割とグレーな事って

結構あると思います。

特に決め事のないルールがないものにおいては

個々の解釈や受け取り方なんかで

様々な客観的なイメージの判断になるので

あの人は黒でも、こっちの人は白とか。

でも、はたまた違う人はグレーだなぁとか。

 

でも、これって意外とルールがあるものにも

グレーって存在するんですよね。

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

その中のひとつが

最近、日本でもあちこちで問題となっている

「野犬」なんかは個人的に非常に線引きの

難しい部類じゃないかと思う。

 

まず、野犬とは、わかりやすく言うと

「飼い主のいない犬」のことです。

 

野犬と野良犬は違うのか?と言うと

ウィキペディアでは同様を指していますが

呼び方として人間に捨てられて野生で生きているのが野良犬。

産まれてから人間と交わりがなく野生で生きているのが野犬。

 

で、他に「ノイヌ」と呼ぶものがいます。

ではノイヌとは何か?と言うと

野山で自生している、そして自ら捕食して

自立して生きている完全な野生化した犬を「ノイヌ」と呼びます。

 

野良犬、野犬は愛護法の対象になりますが

ノイヌに関しては猟獣法の対象になります。

猟獣法は正式名称を

「鳥獣の保護および狩猟の適正化に関する法律」

 

犬だけでなく猫も同様に野良猫とノネコに分けられます。

適用法も同様です。

 

で、ここで、ひとつのグレーが存在します。

 

野良猫、野良犬、野犬に関しては

愛護法が適用なので勝手に駆除をしたり

殺したりすると違法になります。

 

でも猟獣法が適用のノイヌ、ノネコは

駆除をしても違法にはなりません。

 

グレーだと思いません?

同じ犬、猫であっても、その生き方によって

適用法律が異なるわけですから。

 

お友達に指摘されて調べてみましたが

これ線引きはどこでするのって事になります。

実際に以前、国会でも、この呼び方の違いは

線引きが難しい点が問題として取り上げられていました。

 

例えば飼い主がいなくて野生化して生きていても

どこかで人間に餌付けされて暮らしていれば

野良犬や野犬となり、

自ら捕食していればノイヌなのであれば

それは極端な話、亡骸を解剖して

胃の内容物を調べるくらいしなければ

正確な判断は出来ないんじゃないかって事です。

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

以前SNSだったかな。だいぶ前ですが

野良猫が庭先に勝手に入り込み

害をもたらすので、その住民が猫を

駆除したと言う投稿があって

かなり賛否両論した話題がありました。

 

このパターンなんかは、分かりやすくて

野良猫を勝手に殺すのは愛護法違反だ!と

言う人もいれば

中には、でもノネコは猟獣法対象だから

駆除しても罪にはならないのでは?と言う人もいました。

 

確かに私個人も猫が好きなのもあって

多少なりとも、それは愛護法が適用では?と

言う気持ちはあります。

それに、なかなか自ら猫を駆除するってのも

ちょっと正常心なら無理だろうとも思いますから。

 

でも、この住民がノネコだから猟獣法だと言えば

果たして野良猫だったかノネコだったかは

線引きができないんですね。

 

あくまでも証拠なき個々の判断になるので

平行線議論になります、確実に。

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

さらに、よく猫などの不審死があると

なにかと「毒餌をもられた」とか

「毒餌をまかれた」とかで、虐待方向へ

やたら向けようとする話も見るんですが

 

毒餌や不審死って結構ニュースに取り上げられますよね。

 

ニュースに上がるって言うのは

毒餌が散布された状況証拠があったり

また遺体から毒が検出されたなどの

物的証拠が上がったからニュースになります。

 

けれど物的証拠や状況証拠なく

野良猫や野良犬の不審死を全部、虐待に

繋げてしまうのも問題だなと思います。

ここにもグレーは存在します。

 

虐待か否かは物的証拠や状況証拠がなくても

可能性のひとつとしては考えられるかもしれません。

 

ただ、それ以外の可能性もあります。

管理されていない犬や猫ならば感染症の疑い。

または、なんらかの病気の疑い。

そのほかにも毒餌ではなく故意のない毒を口にした可能性もあります。

 

それは何かと言うと春先から夏にかけてならば

除草剤なんかは意外と可能性あるかもですね。

除草剤が散布された草を食べれば

死ぬ場合は十分にあります。

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

白でもない黒でもない

いわばグレーな事って色々なところで出てきます。

 

そのグレーの場合において

自分の気持ちとしては「こうなんじゃないかな?」と

推理、推測くらいは出来たにせよ

断定はできないのですよね。

 

グレーな問題ほど、その答えが出せない場合が多いです。

だからこそ様々な原因の可能性があると言う視点を

持つことは大事なことなんですよね。

 

グレーな問題は「個々の感情から出た推測」にすぎませんから。

 

どうも

 

「たぶん〜だろう」

「もしかしたら〜かもしれない」

 

の話を

 

こうだった、ああだった、きっとそうだ

 

と、さも本当かと思うような書き方をする人が目につくんですが

誤解を招くし、そこから話って枝葉つきますからね。

しかも、これが話の一人歩きが始まると

枝葉も広がり、立派な木になっちゃいますから

そうなると元のグレーだったはずの話題が

いつしか全く出元すら無視な話題になってることがあります。

 

ありますって言うか

あるあるじゃないかな。

 

 

グレーな話題ほど慎重に

また発信するにも言葉の誤解は

要注意するべきだと思いました(*´ㅂ`*)

 

総合的な背景から見極めていくこと。

 

見極めてほしい、本当に。

結構これ、切実かも。

 

SNSなんかが流行り

ネットと言う手軽に閲覧したり

情報を得たり拡散することが可能になり

それはそれは便利な世の中で

 

日本からは遠い他国で起こっている

悲惨な戦争のことや

様々な身近なニュースまでも

拾い上げ知らなかったことを知ることが出来て

これは時に本当に素晴らしいことなんだけど

 

私のこのブログの主な内容をベースに考えるならば

「犬」「猫」の問題。

 

特に以前、このブログにも書いた

愛護活動とやらの問題。

 

感情の操作 - 虎太郎が好きなんです♡

動物愛護の間違った解釈 - 虎太郎が好きなんです♡

 

 

あるひとつの犬の死骸の画像を掲載するとする。

そこに「この犬は虐待された」と文章を添付すれば

閲覧している人は「虐待死」と言う見方で死骸の画像を見て

可哀相だ残酷だ酷いと怒りをぶつけます。

 

動画でも同じで、

犬猫に関して専門的な知識がしっかりあり

分かる人なら分かるかもしれませんが

以前、子猫のミルクの飲み方がバチャバチャこぼし

それが面白いと笑いで沢山シェアされてました。

それはどう見ても何らかの異常がある行動で

発作を起こしているかのような動画でした。

 

でも「おもしろ動画」として出されたからか

ウケる!笑える!なんて飲むのが下手なの!と

笑いに同調した多くのコメントがついていました。

 

違うパターンもいくつもありましたね。

野犬を保護して思い切り警戒しているのに

無理やりリードをつけて散歩。

慣れない行為に拒否反応を起こしている犬に対して

「これじゃあ、虐待してるみたいやーん(笑)」

と、その保護した人は文章をつけ

閲覧している人も笑いで「がんばれ〜」と。

 

個人的には見ていて憤りすら感じましたね。

なんて手荒い扱いをしてるにも関わらず

それすらも慣れるための訓練だと言わんばかりに

記事元が出しているから、そんなもんだと同調するコメント。

 都合のいい犬を飼えばいい。 - 虎太郎が好きなんです♡

 

真逆のパターンでは

どう考えても背景や状況を調べてみれば

明らかな動物福祉に反した行為であるにも関わらず

「きちんと適性な管理をしていた上での病死」と、かなり強引な文章が添付されていた件もあったわよね。

 

関西のアイゴ崩壊 - 虎太郎が好きなんです♡

 

(3)動物保護施設で一体何が… 社会問題 /兵庫県

 

 

 

更に今、まさに進行中な話がこれ。

山口県の野犬問題。

周南市の野良犬たちのために……フードやおやつのご支援を!!せめて美味しいものを食べさせてあげたい|小さくても尊い命…

 

でも、これに関して

反対意見が出ています。

日刊新周2016年3月24日のニュースピックアップ

 

なぜ野犬にエサをやるの?ダメなの?

 

2つの反する話を見て

「どちらが正しい意見と思いますか?」と言うことです。

 

簡単にまとめると個人的には

「空腹は可哀相だから餌をやるのは当然」と言うものと

「餌やりをする事で生じる問題点がある事から

餌やりはしないでほしい」と言うものです。

 

ひとつは「感情的な意見」

ひとつは「確たる根拠と理由があっての意見」

 

更にはここ数日になって

真実かどうかも根拠のない話だと思うのですが

確たる事実として話に盛り付けされてますね。

 

 

こういうのって、そのままを見て

画像や動画、そこにつくタイトルやコメントで

判断して突発的にストレートに受け止めて

同調するのは仕方ないことなんです。

見たままであれば。

 

ので、面白いと出ていたものには面白い。

残酷だと出ていたものには酷い。

可哀相だと出ていたものには可哀相。

 

出している側が、その部分をピックアップして

そう同調されることを目的として出してる訳ですからね。

 

ただ、ひとつの話題に対して

もし「それはおかしくないか?」

「いやいや、それは違うよ」と言う意見を

目に止める機会があれば非常にわかりやすいですね。

仮に違う意見がなかったとしても、

 総合的に冷静に見極めてほしいんです。

 

 

例えば私が憤りを感じたと言う問題のシーン。

この投稿主は、善意で行き場のない野犬を保護して

なんとか人間に慣らそうと必死なのか、

もしくは人間の都合に強引に合わさせようとしてるのか

意図はわかりません、どちらかでしょう。

つまりは人間側の史観でやってる行為と

これが良いことと思い込んでる行為です。

 

では、今まで人間にリードで繋がれた経験もなく

人間と言う存在と共生していなかった犬にとっての

そのシーンの心理状況はどうでしょう?と考えてみてください。

 

人間が思う「良いことをしている」思い込み

人間が思う「なんとかしたい」思い込みで

そこには犬側の気持ちは、ひとつもありません。

少なくても人馴れすらしていない野犬です。

今まで人間に警戒しながらも本能のままに

自由に生きてきた暮らしから

警戒してきた人間に管理され限られた空間で

生きなければならない野犬にとって

短い時間で、人間の都合に合わせて

人間の望むようにさせられる事に

ストレスが掛からない訳がない。

イエイヌより負担は大きいはずです。

 

だから私は「がんばれ」ではなく「憤り」を感じました。

 

動物愛護団体崩壊による件もそうですね。

いくら人間がやれることはやってきた

今まで沢山救ってきたなどと言ったとしても

現にそこにいた犬や猫は見るも無残な姿だったことは

紛れも無い事実なわけです。

 

いくら適性な管理やケアをしてきた(つもり)であっても

結果、どう大目に見ても自分自身も犬を飼っていれば

あんな風になること自体が想像を超えたものでした。

少なくても、その疑問を払拭するような話は

全く出てこなかったと思います。

 

以前、可哀相と言う感情を掻き立てるような

コメントを添えた投稿は、閲覧している人の

感情を操作しているにすぎず、

感情と言うものは冷静さを失わせるので

無責任な行為だと言うことをブログにも書きました。

 

 可哀相だと思う義慈の精神は素敵なことなんです。

犬や猫が好きな人ならば誰でもある心理です。

1匹でも人間と共に穏やかに暮らさせてあげたいと

誰もが思うのは当たり前のことです。

可哀相だと煽っている人だけが、その思いが

本物で強い訳じゃない。

 

でも人の感情の冷静さを失わせるような

感情を操作するような根拠のない情報は無責任です。

 

その事が理解できないまでは

本当に限られた一部の人間にしか

犬や猫の保護活動は浸透しないです。

サイレントマジョリティ(物言わぬ大多数)は

少なからず離れて行くと思います。

 

私は特別、保護活動を率先してやっている訳でもなく

ごく一般の愛犬家の友達の方が圧倒的に多いです。

みなさんサイレントマジョリティです。

そして確実に私が上記にあげた話題については

首を傾げながら静観してます。

 

 

 

 

 

 

 

カリスマやプロフェッショナル

 

最近、ネットで検索すると

犬の訓練士、トレーナー

ドックビヘイビアリスト

などなど、結構たくさん出てくる(๑° ꒳ °๑)

 

 

色々と目を通すと

ここにも「誤解」の「危険」が

本当にたくさん潜んでいる気がした。

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

 

まず、この手の人をあえてネットで

検索している人の心理と言うのは

大体が、すでに犬を飼っていて

なんだかの人間にとっての不都合な問題を

抱えている場合じゃないかと思う。

 

ネットというのは本当に便利なもので

調べたいものを簡単に調べることができる。

 

でも反面、そこには活字による

解説なり紹介なり情報があって

動画が添えられていたとしても

前後のない、ある一部のポイントや

結果だけを切り取りした動画なわけです。

 

つまり「活字」と切り取りされた「動画」

その2つを見て、読み手側、閲覧側が

どう受け取るかによって解釈が変わります。

 

私は特にトレーニング等の分野においては

この活字の表現の難しさと責任が

かなりあると思っています。

 

何故なら、その活字を読むモニターの向こう。

その情報が欲しくて見ている読み手に対して

「誤解のない解説が必要になる」と思うからです。

 

 

最近やたらカリスマトレーナー

カリスマ訓練士、◯◯のプロフェッショナル

◯◯専門など、この手の言葉を

「自称」でくっつけて宣伝に使ってる方が

かなり目立ちますが、

 

この「カリスマ」やら「プロフェッショナル」

ここに基準も定義もないわけです。

あくまでも閲覧側に対する箔のつくアピールにすぎない

ケースはかなり多いと思うんです。

 

私達の世界にもいますよ「カリスマ美容師」

でも私達の世界の「カリスマ」と呼ばれる人は

自称では通じません。

 

目に見える実績や結果が備わっていて

世の同業者からリスペクトされている人物が

自称ではなく周囲が「カリスマ」と評価しています。

 

反面、犬の世界って、

ごく一般の飼い主が、その評価を判断できる

ものが私達の世界に比べれば薄いように思うんです。

 

定義や基準がないからですかね。

 

それ故に、一般の飼い主に対して

出す情報の中に自称で「カリスマ」とつけると

なにやら、とても、その世界では優れた人物にすら捉えられます。

 

「カリスマ」や「プロフェッショナル」の

活字だけで、です。

 

(そもそもカリスマって

そんな薄っぺらい自称ごときで

言うもんじゃないんですけどね)

 

私は何名の方か、犬のトレーニング

また犬に対する思いや姿勢その考え方に、

とてもリスペクトしている方々がいます。

その方々の発信に毎日うなずき

考えさせられ学ばされ日常に活かしてみたり

ポテンシャルの置き方をおさらいしてみたり。

 

その方々、少なくても自称で自分を

カリスマだのプロフェッショナルだのと

言いません(笑)

それに、ついさっき気付きました(^_^;)

 

正直、自称カリスマ、自称プロフェッショナル

「自称」ほど、なんとも薄っぺらいのだと

まじまじ感じるほどに。

 

 

そこでひとつの危険性を感じました。

 

自称カリスマ、自称プロフェッショナルが

初めに「主従関係」を軸にする事が

犬を扱う上で大事なことだと発信します。

 

そうすると、それを見た人は

ベースに「主従関係」を置き物事を解釈します。

また実践においても「主従関係」ありきになっていく傾向が

あるように思うんです。

 

「主従関係」ありきのものは即効性がありますから

そこで「上手くいった」となると「それが正しい」となります。

 

その考え方が出来上がってしまうと

それは違うんだよ、誤解だよとなっても

自分が実践して結果を出したやり方ですから

今からの否定はしにくくなってしまう、

または、その洗脳された考えを

ひっくり返していくのは時間もかかる。

意固地になると絶対的な真理に支配されて

変えれない人もいるかもしれません。

 

今は愛護や保護の活動の中で

様々な人間にとっての不都合な問題を

抱えている犬も救済していこうと言う動きもある中で

その犬達、また家族となる人間にとって

よりhappyな暮らしが送れるようにしていく為

私は、トレーナー等の存在は不可欠になると思いますし

様々な問題を抱えている犬にとっても

最適かつ正しい教えの元に問題改善を

導いていってほしいと思うんです。

 

問題ありとされる犬達にとって

その犬と人間を繋ぐ存在であるべきなんじゃないかと。

 

問題ありとされる犬を引き受ける人間も

愛情はもちろんですが、それだけではなく

本当にその犬の幸せを考えたら正しい教えと

手引きは必要だと思うんです。

 

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

つい最近、愛情だけでは問題のある犬を

迎えることは出来ないと言うことを

ブログに書きました。

 

愛情は大前提に必要です。

でも、ただ可哀相とか、ただ生かしたいだけでは

生かされても救われない犬は存在すると思います。

本当の意味で「救う」ためには「幸せ」にしてやらないと。

そして人間も、その犬と過ごす日々が幸福なものでないと。

 

その為に、私は人間にとっての不都合な問題を

解決させるための大事な存在が

トレーナーと呼ばれる方々だと思うのです。 

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

 

私達と、この犬達とは種が違います。

当たり前のことだけど

だからこそ人間の主観、史観による

物事の計りでは決めつけられない事は

沢山沢山あります。

 

人間と共生する中で犬は沢山の自由や

本能の抑制をされ暮らします。

そうした環境下の中であっても、

人との共生が楽しく穏やかなものにしてあげられるか。

 

その部分って本当に見失ってはいけないんじゃないかと。

 

強制訓練や主従関係のあり方は

人間の都合にはめ込む事はできたとしても

決して犬が意としてやっていることではなく

そこにもまた抑制が存在してしまうという事。

 

簡素にまとめれば私が主従関係を

否定するのは、この理由が大きいです。

管理はしてあげるべきであっても

支配するものじゃないです。

その為、人間の力を使って行動を抑制したり

コントロールするやり方が嫌いなのです。

犬達は人間社会で生きることで

すでに沢山の抑制があるのですから。

 

✤ ✥ ✦ ✧ ✩ ✪ ✫ ✬ ✭

 

カリスマ

プロフェッショナル

 

そこに本当に犬に対する「思い」があるかどうか。

私達、一般の飼い主が見極めていかなければならないと思います。

 

 

 

ゼロへの通過点に生じる問題点

殺処分ゼロを

やたらリピートするひとって、

 

飛躍しすぎなんですよね単純に。

 

まぁ言葉のままの解釈をするから

ゼロ実行になるのでしょうけど、

ゼロにするために必要なことは何か、

それは可能か不可能かの考える余地なく、

ただゼロにすると高らかに叫ぶのは

あまりにも子供じみているとすら思います。


そんなに人間の大人の思考って

足らないものなのかしらね。

 

その通過点の問題と言うのは

冷静に考えれば誰でも理解できることだし、

また通過点に起こる問題点も

人の話に耳を傾け本当に

犬や猫の生態を考えていけば

わかる話なのにもかかわらず、

飛躍して結果に直結させてしまう。

 

ダメですね、これでは。
悪くなることはあっても良くはなりません。

 

処分ゼロにすると言うことは

例え人に慣れていない犬も猫であっても

治らない病を抱え苦しんでいても

攻撃的な行動があったとしても

いかなる理由であっても生かすことを言っています。

例えば攻撃的な問題に関しては前々回の

こちらのブログにも書いていますが

愛情だけでは超えられぬ壁は存在します。

 

☆参考☆

 

攻撃行動の原因は飼い主にある!? | dog actually - 犬を感じるブログメディア

脳内物質と犬の攻撃性との関係 | dog actually - 犬を感じるブログメディア

噛む犬はこうして作られる (5) - レージ・シンドローム | dog actually - 犬を感じるブログメディア

犬が突発的に噛む症状は『スプリンガーの突発性激怒症候群』の疑いがある | 『犬の飼い方』丸わかりナビ!ワンちゃんと正しく付き合うためのサイト☆

 

 

繰り返しますよ?

愛情だけでは超えられぬ壁は存在します。

 

人間に対して恐怖心や警戒心の強い犬は

人間に逃げられないように

囲われ、繫れ暮らす空間に

安らぎなど存在しません。

 

いつか時間を掛ければ

気持ちを開いてくれるはず

 

そんな人間の感覚だけで

のんびり構えているその間も

一分一秒、人間よりははるか早いスピードで

老いていく動物は、ただただ耐えているだけに

他ならないことくらい考えてほしい。

 

きちんとした見極め、熟練したトレーニングが

不可欠な場合も大いにあります。

 

生涯に渡り、なんらかの治療が為されなければ

安心感の得られない暮らしを

延々と続けなければならない場合もあります。

 

的確な検査や治療が永久に不可欠なのにも

関わらず、それをせずに囲い、管理することは

日常、その動物にとって常に耐えるしかありません。

 

 適正な扱い、そこに飼い主が向き合うこと

学ぶべき姿勢があること

様々なクリアすべき点があってこそ

超えられるべき壁は大いにあります。

 

また、死を目前として

治らない病を抱えていれば

その病によっては放置しておくことで

苦痛が増し、言葉が語れない動物は

逃げ出すこともできずに

身を丸めて耐えるしかありません。

 

健康でピンピンしている人間が

生き苦しんでいる動物の姿を眺めながら

自分は助けてあげたから

きっとその気持ちはわかってくれている

 

などと、何を感傷に浸り生ぬるいことを

言ってるんだと思います。

 

私は末期の癌に侵された愛犬を

看取ったことがありますが

口径で鎮痛作用のある薬を与えられない状態に

なってしまった場合、点滴や注射、座薬等で

その処置をしてやれない場合は

かなり苦痛に耐えている状態であることは

まざまざと感じます。

 

本当にその犬を想えば

それは見るに耐えられない光景であり

けして穏やかとは言えません。

 

ガンだけに限らず、

捕食の本能欲が強い動物が食べれなくなる

食を受け入れなくなる状態は

人間側の感覚に置き換えるべきではないです。

 

 

処分ゼロと言う言葉だけを

丸呑みにて、それをそのまま実行し

現実にするだけに囚われていることが

愛護や保護のあり方だと思っている方は

こうした部分の問題点を

全てにおいて端折っているわけです。

 

まず、考えていくべきこと

やらなければならないことは

ゼロにするためには、何が必要で

何が問題点になるか

 

そこをクリア出来ずしてゼロには

到着しません。

 

飛躍せず、もっと現実的なことを

考えていく人が増えていくことを

願わずにはいられません。

 

今の現状は、

身勝手な人間の思い込みと感情の押し付けで

そのターゲットとなった犬や猫が

安らぎなど存在しない暮らしを

させられているケースが

少なからず増えたこと。

 

大問題だと思ってます。

 

そんなことをしている方々の

動物達に与えている罪は大きいですよ。

 

殺処分ゼロが一人歩きした代償

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 TOKYO ZEROキャンペーン

 

名だたる著名人などか名を連ねた

東京ゼロキャンペーン

 

最近、本当に

ここに名を連ねている有名人の方々に

是非とも聞きたい。

 

殺処分ゼロに賛同している根拠は?

 

私は、このゼロキャンペーンが

多数の犬猫好きな方々の中で

話題になり賛同する者が増え

かつ、それをスローガンにして

保護活動をしている人達が

実際にやっている保護のあり方は

 

大幅に質を下げたと思っています。

 

今週も処分ゼロでした!と言えば

そこに万歳三唱する輩も

 

単なる処分ゼロと言う上っ面だけに

どっぷり洗脳されて

殺されなかった事だけに達成感を得て

その後の事など「生きてりゃなんとかなる」

 

そういうのって

ただの自己愛性愛誤って言うんですよ。

 

生かしてしまったその後の

その犬や猫のその後の暮らしが

どうであれ、そこに動物福祉は存在しなくても

それを指摘しようものならば

 

救ってあげたんだ

助けてあげたんだ

 

と、意固地に主張し

話の論点は投げかけた福祉の話など無視して

話はまた処分を間逃れたことに戻し

完全に生かすことだけに洗脳された状態。

 

全く他からの情報など

受付けないほどに洗脳されている状態ですよ。

 

これもまた処分ゼロが一人歩きしたことの

代償だと感じます。

 

 

本来のゼロと言うのは

むやみやたらに人間の勝手な思い込みで

やることが達成ではないです。

 

動物福祉というものは

基本的に人と共生することで

成し遂げられることですが

 

人が迎えいれた犬や猫に対して

福祉ありきで責任を持つことが出来れば

確実に処分は減ります。

間違いなく減ります。

 

しかし人と共生することに安らぎがない犬や猫も存在します。

 

本来、人と共生の中で

幸せな生涯を送らせてあげることを

推進していくためにすべき事が

伝えなければいけない事のはず。

 

処分ゼロと言うのは福祉も無視、

人との共生の中で安らぎが得られない場合も

強制的に管理下に置き留置することで達成します。

 

なんでもかんでも全て人の監視下に置き

強制的に強引に管理することが

今、ちまたで処分ゼロだったと万歳三唱している方々のやってることです。

 

そこには「犬や猫の心」は配慮すらされてない。

 

殺処分ゼロ3年継続中!神奈川県動物保護センターの状況です。 ( 犬 ) - アニマルプロテクションAnimal Protection神奈川 - Yahoo!ブログ

 

アニマルプロテクションさんのブログです。

 

アニプロさんが引き出してくれなければ

センターの中で「処分をしない代わりに」

この状態で生かされているわけです。

 

容体の悪い子も

苦痛を伴っている子も

不安でたまらない子も

 

 

やたら目につく強制的で強引な保護活動。

人に慣れていない 野犬をセンターから引き出し

怯えてるのに慣らすために強引に散歩に連れ回し

警戒しているのに強引に触られ

 

慣れていないのに飛行機に乗せられ

慣れていないのに見知らぬ人間の家をたらい回され

手に負えなければケージに閉じ込め

手が行き届かなければケージに閉じ込め

 

でも、助かってよかったね

殺されなくてよかったね

 

人間はそれで満足でしょうが

人間のゼロキャンペーンのおかげで

苦しい生涯を与えられている犬や猫も

少なからず存在することくらい

頭にいれておくべきですよ。

 

 人と犬の幸福な関係に必要な、"動物福祉"の考え方 - docdog lab.

 

↑必読ですよ(´ . .̫ . `)