╰( U ・ᴥ・)mイヌのいる暮らし

犬多頭飼いの主婦ブログ

責任を持つ上での経済的な話

 

今回は、ちょっと自分の体験談を含め

犬や猫の生涯、終生飼育における

経済的な部分のことを書きたいと思う。

 

たまに、犬や猫の殺処分ゼロに賛同する

人達の主張の中に

 

「殺すためにお金を使うならば

生かすためにお金を使うべき」

 

と、言う意見を見ることがある。

 

先に言っておくと

私も犬や猫が好きで迎えている立場なので

殺処分と言うものに心が痛むのも同じだし

1匹でも処分される動物が減ればいいなと

それは切に願っています。

 

けれど現実問題、

殺処分ゼロは不可能であると思っている。

 

それを踏まえて

「生かすためにお金を使う」と言う発想は

願っていても現実的には不可能だと思っています。

 

それは犬や猫を飼っている人ならば

現実的に理解できる話なのに

「殺」と言う、要は人間の判断で

命を奪う行為だけに過剰反応して

こうした事が不可能であると言う理解すら

出来ずにいる人が

もし「保護活動」をしているならば

辞めたほうがいいんじゃないだろうか?とまで思うことがある。

 

この手の主張をする人達は

犬や猫の一生、平均15年としたとしても

その一生を責任を持って生かし管理していく

費用と殺処分にかかる費用を同じ金額だと

思っているんだろうか。

 

 

我が家は、老衰や病気などで

最後を看取る責任を持った犬達を含めて

今まで16匹の小型犬を迎えた。

現在は、その半分の頭数がいる。

 

我が家は夫婦2人暮らしで人間の子供のいない

成人2人の世帯で、夫婦共に事業を起こし

小さいながらも、それぞれの会社を持っているので

言ってしまえば経済的に困窮することはない環境下で多頭飼育をしている。

 

それでも人間が2人なので

いくら小型犬だとしても10頭を超える頭数は

お金では解決しない部分が

してあげられなくなるので、

10匹と言う頭数が最大にいた頭数。

 

生きていれば、みな五体満足に

無病無体で一生を終えるわけではないのは

当たり前の話なのは犬や猫を飼っていれば

わかる話だと思う。

 

10頭で年に1回の健康診断や予防接種、

年間の予防薬だけでも20〜30万くらいは

必ずかかるし、

 

毎日の食事だけでも

きちんと食の管理をしてあげれば

毎月、平均6万〜8万は小型犬でも

10頭もいれば使っている。

 

それ以外にペットシーツなどの

日用品が毎月2万ほど。

 

更に病気になった時の医療費に関しては

何匹か重なる時もあったり

続く場合もあったりする。

 

思い入れ深い犬がいて

その犬は6歳の時に、心臓病の診断をされた。

その病気は投薬で心臓の負担を緩和しながら

生活を送らせてあげる事はできても

進行性の病気なので、定期的な検査や

その時の状態によって薬を変えたりする

必要があるわりと多い病気だった。

 

まだ若い犬だったので外科手術で

治す事も考えたけど、ほかの持病があり

外科は不可能だとの診断がついたので

投薬のみで予後を緩和させていく選択をした。

 

この病気は投薬のみだと

平均寿命が3年前後とも言われているので

長く生きられなくても、生きている間は

投薬でコントロールしてあげて

少しでも苦痛なく過ごさせたいと思うのは

飼い主としては誰もが当たり前の心情でしょう。

 

で、結果から言うと、この犬は

投薬コントロールが上手くできたので

心臓病と診断されてから10年の年月を

生きてくれた。

 

この犬が10年、病院にかかった医療費、

検査や毎月の投薬、容体が安定しないときの

入院があったりで総額、約500万です。

 

高いと感じますか?

でも計算してみてください。

10年で500万なので1年間は50万です。

投薬は朝晩で病気の進行に合わせて

内容をコントロールして変えていくわけですし

そのために検査もするわけですから

年間平均50万くらいはかかります。

それが10年だったので単純に500万です。

 

何匹かの犬の話ではなく

我が家にいた1匹の犬の話です。

 

そして、その間にほかの犬達が

なにもなかったわけではありません。

 

突発性椎間板ヘルニアになり

緊急手術になり

更に入院リハビリが必要だった犬もいました。

無事に歩行回復して元に戻るまで

1ヶ月くらいの期間でしたが

それにかかった費用、約50万です。

 

免疫疾患になった犬がいて

検査、治療、完治まで1年半かかりました。

大学病院での治療だったので

治療費の他に通院する交通費などが

毎週かかります。

 

癌と言う病になった犬もいました。

手術があったり、通院が毎日あった日もありました。

 

人間側である私達の意思で迎えた犬ですから

最後まで責任を持つ覚悟で迎えています。

 

普通みなさん、そうですよね。

 

人間が一生のうちに

自分の経済面で責任を持って迎えられる頭数は

何匹ですか?

 

 

 

よく保護活動している方々が

フード代が足りません、医療費が足りませんと

支援を呼びかけているのを当たり前に見ますが

そのお金が集まらなかったら

そこに保護された犬や猫はどうなるんですかね?

 

ごはん食べれず餓死ですか?

医療かけてもらえず、息絶え絶え

緩和されることなく

苦しみながら死ぬだけですか?

 

実際に崩壊、破綻と騒がれているところは

これが起こっているわけです。

何匹も苦しませて死なせてから

現場発覚するパターンがほとんどですから。

 

 

命に責任を持つ上で

生かすと言うことは人間の手も

頭数が増えれば比例して必要になるし

それ以上に経済的に潤沢でなければ

最後まで責任は持つことができません。

 

 

私達夫婦は、自分達の年齢を考えると

この先、犬や猫を自分達の責任をもって

終生飼育してあげられるのは

もう、そんなに先はないと思ってます。

 

そう言う計画性を持つことが

命の責任を持つと言うことなんですよ。

 

命の責任を持つ上での

その命の数に対して必要な人間の数、時間、

経済力、計画性、これがあって

終生飼育は成り立ちます。

 

終生飼育ができる人間が増えるだけでも

露頭に迷う犬や猫は減ります。

 

そして、現実問題わかっていなければならないのは

人間ひと家族、その人の一生のうちに

責任をもって迎えられる頭数は

そんなに多くはないと言うことです。

 

だから過剰に増えてしまった犬や猫が

不遇にも処分と言う形になってしまっても

責任を持って生涯を看取れる人間の数や

経済面を見れば、ゼロになることは不可能なんです。

 

 

少しでも処分を減らすために

何ができるかと考えるならば

まずは人間の自己責任において

適正な飼育ができる人を増やすこと。

終生飼育ができる人を増やすこと。

また、不遇になる命を増やさないために

避妊や去勢をすること。

 

そうした啓蒙がいかに大事かと言う事を

まずは考えるべき。

 

それが理解できずに

やみくもに処分だけにナイーブになって

処分ゼロばかり騒ぐなんて

言ってしまえば無責任な主張であることに

気づくべきなんです。

 

 

 

 

#処分ゼロ

#犬

#猫

 

 

 

 

 

 

あなたは褒められたら嬉しいですか?

ご無沙汰な更新。。

最近なぜかアクセス伸びてるので

また、ちょいちょい更新しようかと(*・ω・)ノ

 

とは言えど

今日の更新、特にお題はないんだけど

ちょっと簡素に。

わかりやすく。

 

 

犬飼いのみなさん。

または飼いじゃなくてもいい。

保護活動してるみなさん。

トレーナーしてるみなさん。

誰でもいい、とにかくみなさん。

 

 

でも、とりあえず、このブログは

犬のことを主体に書いているので

犬に関わっている人間のみなさんに聞きたい。

 

 

 

単刀直入に、

褒められたら嬉しくないですか?

 

自分がやった事が褒められたら

嬉しくないですか?

 

自分がこうしたいなぁと思ったことが

思い通りに行動できたら楽しくないですか?

 

会社でも家庭でも親でも友達からでも

優しくしてもらったら

モチベーション上がりません?

 

優しくしてもらうと気持ちが和みません?

優しくしてもらうと落ち着きません?

 

 

 

反面、

 

自分は悪気はなかったのに

怒られたら嫌じゃないですか?

 

楽しくてやっていたことを、いきなり遮断されて

怒られたら、どうしてかわからなくならないですか?

 

怒鳴られたら怖くないですか?

 

叩かれたり、抑えこまれたりしたら

恐怖じゃないですか?逃げたくならないですか?

反撃してでも、逃げたくないですか?

 

本当は、それをした理由があるのに

それをわかってもらえないまま

一方的に怒られたり怒鳴られたり

叩かれたりしたらどうします?

 

そんな思いしたくないから我慢しません?

納得できなければ我慢するしかなくないですか?

 

とりあえず怒鳴られたくないし

まして痛い思いなんてしたくないから

なんで怒られたか理由がわからなくても

とりあえず我慢しませんか?

 

納得なんてできないですよね。

だって理由がわからないから。

なんでそんなことされたわからないわけだから。

 

納得いかないまま

我慢するしかないですよね。

 

それって不安じゃないですか?

常に不安になりませんか?

 

不安だけど、怖い思いしたくないから

とりあえず相手のご機嫌伺いません?

 

だって理由はわからないけど

ご機嫌さえ伺っていれば

怖い思いしないなら、

本音じゃなくても、とりあえず

相手を怒らせないようにすればいいんだし。

 

 

けど、それって辛くないですか。

 

わかってもらえないとか、辛くないですか?

 

褒めてもらうために怒らせないために

我慢して相手の顔色みて

ご機嫌伺って生きるなんて

 

何のために生まれてきたんだろう、

自分ってなんなんだろうとか

思いません?

 

 

 

 

 

そう言う事って生きていれば

大なり小なり、みんな経験あると思います。

 

そう言う辛い経験ってあると思うんですよね。

 

 

 

なら、それ

 

動物や子供にしないで。

絶対に。

 

飴と鞭だとか言って

自分の出来の悪さを

体裁の良い言葉で正当化しないで。

 

自分の勝手な都合を

感情で、理不尽に動物や子供に

与えないで。

 

 

そうなれないと言うなら

そうなれるまで

言葉の話せない動物とか子供に

関わらないで生きるべし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「親」ができないものを他人に託すバカげた話

久々の更新です。

 

今日とある記事を見ました。

それがこの記事なんですが

本当に思うこと全て

そうだそうだと思いながら

同感しながら読ませてもらいました。

 

ノーベル賞・野依博士「本気で怒っている」日本の教育に危機感(THE PAGE) - Yahoo!ニュース

 

 

一部引用↓↓↓

しかし実際には、今の小学校から大学の教育を見ても分かる通り、教育が学校に偏重している。そして皆、自分の義務を果たすことなく、「学校が悪い、先生が悪い」と言っていて、先生たちが気の毒です。一方でメディア報道によると、身勝手な教育者らしからぬ先生も大勢いるようです。不祥事は根絶しなければなりません。

 学校の先生に全部任されてもね。「親の顔が見たい」という言葉がありますが、家庭でしつけのできていない子供たちを教育できませんよ。学校教育はもちろん大事で、教育の中核を成すものだと思いますが、あくまで教科が中心でしょう。現代、そして将来の社会を支える人をつくる、そして、その個人が幸せに生きるということを、社会全体で考えない限り駄目です。

 

他にも、本当に同感ポイントがあったんですが

イヌブログなんで、この部分わかりやすいから

ひっぱりました。

 

仕事柄、客商売なんで

度々、子を持つ親御さんの

学校が〜、学校で〜と言う話を聞くことがある。

 

確かに内容として

全てが全て学校が悪くないと言う事案ばかりでは

ないけど、傍から見ると大半は

それは基本のキの部分、

もはや問題の根底は親と子にあり

言うなれば親の思考の問題では?と

思うことが少なくない。

 

傍から見れば、そうとしか見れないものを

親本人は、自分にはなんら問題がなく

子供自身の問題であり、その打開策や改善を

学校と言う、いわば教科の学習をする場に求めるわけだ。

 

親はお金を払い、それを任せるだけで

自分にできないことを

なんとかしてくれるだろう

「子供の専門家」だからと教員の理想図を

勝手に都合のいい形につくりあげる。

 

それは非常に「楽」なのです。精神的にも。

 

仕事でもそうだけど

人間は「できないこと」「できなかったこと」

に対して「学ぶこと」「考えること」をするけど

それが、全く打開策がでてこないと

どうしたらいいかわからない

なにがいけないのかすらわからない

 

この「わからない」と言う状況になれば

とてつもないストレスがかかるんですよ。

 

なぜ、わからないか。

 

わからない人の共通点って

自分を客観的にみる事ができないんですよね。

 

まず先に自分以外の「人」や「物」を見てしまう。

その人や物がどうしてそうなってしまったか?と考えるあたりからスタートしてる人多いです。

 

私は美容師をしていますが

アシスタントの子がカットの練習をするとします。

 

やりたいスタイルはこれなのに

自分がやってもそうならないとする。

 

出来る子もいるし、出来るはずなのに

なぜか自分がやると出来ない。

 

何が違うのかな?何がダメなのかな?と考えたとき

一瞬は自分の何かが悪かったのかと思っても

あまりにも出来ないと

 

教え方が悪いんじゃないだろうか?

ハサミが安いからだろうか?

 

と、自分のことより他に原因があるのでは?

と考えだした辺りから、その手の子は伸びません。

これは色々な子を見てきた経験上。

 

確かに教育や人に教えると言うのは

教え上手な人はいます。

 

でも少なくても出来る子と言うのは

どんな教え方をされても出来るパターンが多い。

 

なぜか。

 

それは、まず自分を見て自分の何がどうなのかを

客観的に考え分析できているかどうかの違いかなと、よく思います。

 

 

と、言う前振りをしてからの

イヌについて。

 

端的に言うと

飼い主ができもしないことを

犬のせいにしたりトレーナーに

丸投げしてなんとかなるなんて思うなって事です。

 

飼い犬が思うようにならない

飼い主にとって不都合な行動ばかりする、

 

犬がバカなんだ

 

と、思う時点で飼い主がバカですよ。

 

自分でそう言う子にしたんだから

トレーナーに丸投げせずに

何が間違っていたか

飼い主も一緒に頭悩ませないとダメなんですよ。

 

むしろ飼い主が

一番、悩まないとダメなんですよ。

 

で、飼い主が一番勉強しなきゃダメなんです。

 

それがわからないうちは

自称の不勉強な体罰訓練士とか

あってはならない存在を増長させるだけですからね。

 

 

命あるものを質より量で評価する、おかしな人達

 

ひさびさに更新。

これは、おかしな理屈で

保護活動を支持したり賞賛する人が

定量いるよねって言うフレンドさんの言葉に

 

だよね〜

 

と思ったので。

 

 

最近のニュースで

こんなのがありました。

愛護団体の超有名どころの

ピースワンコ さんが

狂犬病予防接種をやりきれず

出来てなかった時期があって

警察が入ったよ的なニュース。

 

狂犬病予防注射に関する現在の対応について | 地域福祉への貢献めざしセラピー犬育成する「Peace Wanko Japan(ピースワンコジャパン)」

 

「殺処分ゼロ」に取り組む広島のNPO、狂犬病の予防注射受けさせず 保護犬急増で管理態勢限界に (1/2ページ) - 産経WEST

 

 

一読。おすすめな記事を見つけました。

PWJ、狂犬病予防法違反疑いで捜査の件 - SMILES@LA

 

 

なんか頭数をたくさん保護してると

 

やろうと思っても、

できる事じゃないとか

頭が下がる思いだとか

たくさんの命を救ってくれてるとか

 

なんか、またお決まりワードみたいな

擁護意見が一定量、やたら見ますけど

 

なんですかね。

 

前記事に書いた虐待訓練士のときにせよ

兵庫の愛護団体崩壊の時も

全く同じ賛同意見や擁護意見みましたけどもw

 

 

まず、この問題も含めて

虐待訓練士のもしかり

兵庫の愛護団体崩壊もしかり

なぜか「数」にこだわるのか

そこを褒める人やたらいるようです。

 

その「数」にこだわってる方々は

今、ご自身で何匹の動物を飼ってるんですかね。

 

私、今、人間慣れしてる10匹の小型犬と

1匹の猫を飼っていますが

お世話して管理してるのは人間2人です。

 

とてもじゃないけど、自分が多頭飼育をしてるので

この、とんでもない数を面倒みてると言う時点で

全く理解できないですけどね。

 

 

もし、擁護したり賛同したりしてる人が

もし我が家以上の頭数を面倒見ていて

かつお世話する人間が我が家より少ないならば

悪いけど、行き届いた管理って、どう言う管理をどんな風にしてるんだろう?とか思うくらいです。

 

うちの人間の人数に対しての飼育頭数は

私自身、正直多いなと感じてます。

甘めにみても限界頭数だと思ってます。

 

なぜ限界頭数と言うかというと

生活のお世話、コミュニケーション、

習性別にグループ分けした適切な散歩

個体別に適した食事管理、

体調管理、病気などのケアもろもろ。

これをきちんと、その子その子1匹ずつの事を

考えた上でやってあげるための頭数として

限界頭数と言っています。

 

ごはん食わせて、うんち拾ってるだけの

生かしておいてるだけの世話じゃないですよ?

 

けど頭数を増して飼えないわけじゃないです。

むしろ1匹ずつにかかる世話や管理の内容を

少しずつ削れば頭数は増やせます。

 

 

わかりやすい例えで書いてみましょうか。

 

私は美容師をしています。

美容室は皆さんご存知のように 

今や高い店もあれば安い店もあります。

 

カット6000円の美容室と

カット1000円の美容室があるとします。

 

カット6000円の店は

来店頂いたお客様に1時間の時間を使って

お客様の話を聞き、丁重に手でシャンプーをし

お客様の骨格や髪質を見ながら

また、お客様とコミュニケーションをとりながら

お客様の為に1時間を有効に使えます。

 

カット1000円の店は10分間に1人のお客様を

終わらせなければ1時間6000円の利益になりません。

だから平均10分以内で仕上げます。

髪をシャンプーする時間なんてありません。

来たままのお客様の髪を霧吹きで濡らして

カットしたら一気に乾かして見栄えがよい程度に

仕上げて終わりです。

シャンプーをして欲しい場合は

手ではなくマシーンが洗ってくれたりします。

 

美容室は消費物なので、

お客様が自分のライフスタイルに合わせて

1000円がいいのか6000円がいいのかを

選ぶことができます。

 

美容室に限らず

産業って安いものは大量に売らなければ

利益にならないなんてのは

普通のひとなら当たり前にわかるでしょう?

 

100円ショップの包丁は安価だけど

売り手側は大量に売らなければならない。

また大量生産するわけだからクオリティは落ちる。

でも包丁職人は一本一本、手間暇かけて作るので

高額で売れるけど大量生産は望んでません。

 

 

全て、数を増やす原理と言うのは

大量になればなるほど

何かが削れるもんなんです。

 

では、こと「命」ある動物、

ここでは犬を指しますが

大量に保護することだって

この理屈がある意味、当てはまるんですよ。

 

つまり1匹1匹にかける管理、世話、コミュニケーション、全てが削れているってことなんです。

 

それでも命が助かることの方が大事と言うならば、もはや、それは人間がそうしたいだけと言う感情論に犬を付き合わせて、犬を苦しめていると言うことにすぎないんですよね。

 

「たくさん保護してくれて

とても真似できることではない」

 

と、賞賛するのであれば

逆に、なぜ真似できないのでしょう?

 

それは自身の経済面の問題ですか?

それとも自身の時間を潰すのが嫌だからですか?

 

やろうと思えばできますよ。

真似できないなんてことはないです。

 

私はやろうとも思わないし

素晴らしいとも思いません。

 

なぜなら理由は上に書いたとうりです。

1匹1匹に代わりはいないです。

自分が巡り合った1匹1匹の子が

人間と共生する上で

人間より遥かに短い寿命である一生を

できるだけ安心して穏やかに健康に暮らして

生涯を終えてほしいと思ってますから

 

人間が増やしたいがために

1匹1匹の暮らしの質を下げて

ごはんだけ食べさせて

散歩も匂い嗅ぎもできないほど

人間の忙しさに連れ回され

あとは決められた場所に置いておくなんてことは

とてもじゃないけど可哀想でできませんけどね。

 

 

命あるもの

質より量ではなく

量より質であることが

愛情であり愛護でしょう。違います?

 

人間の都合のいい解釈で

生き物が産業と同じように

質より量を求められて賛同されたら

本当、とてつもなく残酷なことであることくらい

 

ちょっとは考えてみませんか?

 

 

 

 

 

 

 

人間の言語で左右されるもの①

かなり久々の更新になります。

と言うか最近あまり動物問題というか

そういうものに触れずの生活だったので

愛犬たちと変わらず、のんびり暮らしておりました。

 

と言う中の久々の更新です。

 

と言うのも、めったに犬関係の番組って見ないのですが

先日、珍しく見たんですよね。

NHKでやっていたプロフェッショナル仕事の流儀と言う番組で

犬特集でした。

 

トリマーさん、獣医師さん、あと訓練士さんが

その道のプロとして紹介されていましたが

ちょっと、うん???と思ってしまったのが

この終盤に紹介された訓練士さん。

 

まぁ噂はかねがね聞いていましたし

一般の人では手に負えない、いわゆる「噛み」と言った

問題行動を持った犬を専門に扱っている訓練士さんとのことで

結構リスペクトされてる飼い主さんがいましたしね。

また問題行動を引き起こしたことによって

センターに収容された犬を処分と言う形ではなく

引き取り最後まで生かし救うことにも信念を持たれているとのことですから

保護活動していたり、また処分ゼロを訴えている方にとっては

神のような存在ではないでしょうか。

 

活動や信念は素晴らしいと思います。

なかなか出来る事ではないですよね。

 

で、その番組を見て多くの方が称賛していましたし

感動して涙した方も多かったようですね。

 

こうした問題を国営放送で放送した意味では

たくさんの人が考えるきっかけにもなったと思います。

 

私自身も「考えるきっかけ」を与えてもらった意味では

見てよかったなと思いました。これは率直な感想です。

 

ただし私の一個人の感想としては

とても感動するものでも称賛に値するものでもなく

むしろ恐ろしいことだなと言った気持ちが一番だったかな。

 

何が恐ろしいなと感じたかと言うと

噛みや攻撃と言った人間にとっては不都合な犬の行動を

体罰を用いた方法で矯正すると言うやり方の訓練士さんなので

それは以前から聞いてはいましたが

リアルに見ると、ちょっと想像をはるかに超えるものでした。

むしろ今この時代に、間違っても推奨できないやり方だと思っています。

20年前くらいは、あのやり方は一般的だったかもしれません。

 

まだまだアルファ論や様々な犬のことが「仮説」だった時代です。

けど今は違います。どれほど多くのことが20年前にくらべ

当時は見つけられなかった真実が見つかり

当時は究明されていなかったことが解明され

多くのことが、より良くなるために推奨されてきているか。

 

もうそんなこと一切除外された「自己論」に過ぎないんですもん。

正直、「プロ」であれば尚のこと、

志や覚悟は素晴らしいですけど、さも当たり前にように

体罰を愛情と言う言語をかぶせて正当化するなんて

言語の理解できない犬に対して人間の都合よくはめるべきじゃないです。

 

こんなこと、単純なことすぎる当然のことだと思ったんですけどね。

 

もしあれがテレビ向けの演出ではなく合成でもなく

本当に日常光景なのであれば、もう体罰と言うより虐待だなと思います。

 

賛同された方や肯定していた方の意見の中は

ほとんどが、まず犬の為を思っての愛のムチと言う受け止め方をしていましたね。

その他、ああしなきゃ処分される命だった、とか人がやらないことをやっているとか。

 

ナレーションと訓練士ご本人の言語の解説が加えられているので

言語によって、その内容を解釈する人間の視点から見ると

あの虐待行為も、全て愛になるようです。

 

なんか、こういう書き方をすると

けして絶賛してもないし賛同も称賛もしていないので

単なる批難とか下手すると誹謗中傷だとか言い出す人が

出てくるんだろうなぁ。

 

ブログを引用されたりリンクされて

「言うのは簡単、だったら自分でやってみればいい」とか

やりだす人もいそうな・・・ww

 

そういう次元のネタにされるのは、ちょっと不本意なんですが

非難するつもりはないですが、やり方としては、個人的に完全否定です。

 

少なくてもこの訓練士さんが「プロ」と名のるのであれば

なおさら、そう思います。

 

そして、この訓練士の元に藁をもすがる気持ちで

相談に走る人が増えているのであれば

その現状も問題なんだろうなと思いました。

 

一応タイトルには①としておきました。

なぜ、あれを虐待と感じたか等は長くなるので

また時間のあるときにでも書こうかな~と思います。

 

では☆おやすみなさい。

 

 

 

 

犬が好きならば無駄な試練は与えないでほしい

 

もうタイトルそのまんま。

本当に最近またこれを思うようになった。

 

犬を救いたい、助けたい、

なんとかしなきゃ死んでしまう

生きてこそ幸がある

 

人間の史観で、人間がやりたい事をやる中で

例えそれが人間から見ての善意であっても

本当にそこにある「犬のココロ」は

どこまで考えているのかと言えば

どう捉えても、人間の史観と感情論しか見えてこない。

 

どこまで「犬のココロ」を考えているか。

犬のためだと言いながら

完全に欠けているのは、この部分と言うのは

致命的な事だと思う。

 

犬を人間の生活の中に入れて

愛情をかけて共に暮らしていくというのは

人間の管理下に置くことで安全や安心と言った

保証は確実にある。

 

けれど、犬と言った動物的な視点で考えれば

動物としての本能の部分など

様々な抑制を与えなければならない訳です。

 

野生の中で犬が思うように好きなように生かす訳ではないのだから

この理屈は頭を悩ませなくても解りきった事です。

 

人間の暮らしの中で人間の社会的なルールを

教えていくことで、その犬が安全と安心を得ることができます。

 

もし犬が好きなように自由に生きていいならば

そんな事を教える必要もないわけです。

 

散歩でリードも不要でしょう。

避妊去勢も不要でしょう。

手入れも不要でしょう。

トイレトレーニングも不要でしょう。

コマンドも不要でしょう。

 

けどこうした、ひとつひとつの事は

人間と暮らしていく中で、安全に、または

人間にとって脅威となる存在にならない為にも

人間側が必要としている部分なんです。

 

人間の管理下にある犬は

野生で自由に生きている動物ではなくなります。

人間の暮らしに合わせた本能の抑制や

コントロールをする事が大前提になります。

 

けれど、そこには安全と安心があります。

その中で犬は人間との暮らしに順応していき

時間をかけ少しずつ、安らぎを得ます。

 

犬は人間と暮らす上で

人間にとって当たり前のことひとつ

全て学び、学習しているんです。

 

普通に人間と暮らすだけでも

たくさん頑張ってくれます。

 

それなのに、それ以上に

人間の勝手なる解釈と

人間の都合のいい美談にするがために

これ以上に試練を与えるような

保護活動というものが

あまりにも目について、本当にいたたまれない。

 

 

前にもブログに書きましたが

野犬として生きてきた人間と接触のなかった犬を保護し

抵抗しているのに首輪とリードを装着して

強引に散歩に連れ回し、慣らそうとしている

ある保護活動家の動画。

 

首輪をつけてリードをして散歩をする行為を

当たり前に考えていて、かつ数をこなして

毎日やれば慣れるだろうとでも言いたいのか

その数秒の動画の中にすら

この保護活動家の身勝手な人間軸の考えが

露骨に出ていたと思う。

 

犬は好きなんだろうが

こういうのを愛情の押し付けというんですね。

 

 その犬が自ら選択する、その行動の先に

私達、人間にとっても良い結果をもたらすこと。

それは基本だと思うのです。

 

強制することではなく、その方向へ導いてあげること。

 

それがどういう事なのか、何を意味するのかが

理解できていない人が、様々な習性があり

様々な環境の中で、それぞれ違った個性を持つ動物に対して

人間の都合にはめ込もうとやっている行為は

強制という虐待と言ってもいいんじゃないかと思うのです。

 

そして、こうした基本的な部分、

犬の気持ちやココロを汲み取っていこうということに

視点がない人の場合、自身のなんの根拠もない

ただの経験値だけを語り当然のように犬を扱います。

 

ある行動学に対する意見を倫理的に述べたら

「どこの偉い方が言ってるのか知りませんが」と前置きされ

ご自身の思い込みと経験値からの根拠ない反論をされたことがありますが(笑)

 

どこの偉い方が・・なんて言い出す段階で

基本的な事が叩きこまれていない証拠を露出してるようなもの。

 

そも、人の話を聞き、また学び、

その姿勢が全くないのも

「経験値の思い込みと押し付け」でしか

動物に接することが出来ない激昂型の方が

多いようにも感じます。

 

 

人間社会で暮らす犬に

無駄な試練は与えないでほしい。

本当に痛切に願いたいことです。

 

 

白でもなく黒でもないのはグレーです。

黒でもなく

白でもない

混ざり合った

いわば「曖昧な色」が

グレー

 

なんてのは誰もがわかる事で

よく人間の決め事や問題の中にも

白黒どっちつかずでグレーなんてのはあるし

優良か劣悪かどっちつかずでも

グレーゾーンなんて言ったりしますよね。

 

まぁ、解説要らぬ話なんですが(^_^;)

 

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世の中、割とグレーな事って

結構あると思います。

特に決め事のないルールがないものにおいては

個々の解釈や受け取り方なんかで

様々な客観的なイメージの判断になるので

あの人は黒でも、こっちの人は白とか。

でも、はたまた違う人はグレーだなぁとか。

 

でも、これって意外とルールがあるものにも

グレーって存在するんですよね。

 

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その中のひとつが

最近、日本でもあちこちで問題となっている

「野犬」なんかは個人的に非常に線引きの

難しい部類じゃないかと思う。

 

まず、野犬とは、わかりやすく言うと

「飼い主のいない犬」のことです。

 

野犬と野良犬は違うのか?と言うと

ウィキペディアでは同様を指していますが

呼び方として人間に捨てられて野生で生きているのが野良犬。

産まれてから人間と交わりがなく野生で生きているのが野犬。

 

で、他に「ノイヌ」と呼ぶものがいます。

ではノイヌとは何か?と言うと

野山で自生している、そして自ら捕食して

自立して生きている完全な野生化した犬を「ノイヌ」と呼びます。

 

野良犬、野犬は愛護法の対象になりますが

ノイヌに関しては猟獣法の対象になります。

猟獣法は正式名称を

「鳥獣の保護および狩猟の適正化に関する法律」

 

犬だけでなく猫も同様に野良猫とノネコに分けられます。

適用法も同様です。

 

で、ここで、ひとつのグレーが存在します。

 

野良猫、野良犬、野犬に関しては

愛護法が適用なので勝手に駆除をしたり

殺したりすると違法になります。

 

でも猟獣法が適用のノイヌ、ノネコは

駆除をしても違法にはなりません。

 

グレーだと思いません?

同じ犬、猫であっても、その生き方によって

適用法律が異なるわけですから。

 

お友達に指摘されて調べてみましたが

これ線引きはどこでするのって事になります。

実際に以前、国会でも、この呼び方の違いは

線引きが難しい点が問題として取り上げられていました。

 

例えば飼い主がいなくて野生化して生きていても

どこかで人間に餌付けされて暮らしていれば

野良犬や野犬となり、

自ら捕食していればノイヌなのであれば

それは極端な話、亡骸を解剖して

胃の内容物を調べるくらいしなければ

正確な判断は出来ないんじゃないかって事です。

 

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以前SNSだったかな。だいぶ前ですが

野良猫が庭先に勝手に入り込み

害をもたらすので、その住民が猫を

駆除したと言う投稿があって

かなり賛否両論した話題がありました。

 

このパターンなんかは、分かりやすくて

野良猫を勝手に殺すのは愛護法違反だ!と

言う人もいれば

中には、でもノネコは猟獣法対象だから

駆除しても罪にはならないのでは?と言う人もいました。

 

確かに私個人も猫が好きなのもあって

多少なりとも、それは愛護法が適用では?と

言う気持ちはあります。

それに、なかなか自ら猫を駆除するってのも

ちょっと正常心なら無理だろうとも思いますから。

 

でも、この住民がノネコだから猟獣法だと言えば

果たして野良猫だったかノネコだったかは

線引きができないんですね。

 

あくまでも証拠なき個々の判断になるので

平行線議論になります、確実に。

 

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さらに、よく猫などの不審死があると

なにかと「毒餌をもられた」とか

「毒餌をまかれた」とかで、虐待方向へ

やたら向けようとする話も見るんですが

 

毒餌や不審死って結構ニュースに取り上げられますよね。

 

ニュースに上がるって言うのは

毒餌が散布された状況証拠があったり

また遺体から毒が検出されたなどの

物的証拠が上がったからニュースになります。

 

けれど物的証拠や状況証拠なく

野良猫や野良犬の不審死を全部、虐待に

繋げてしまうのも問題だなと思います。

ここにもグレーは存在します。

 

虐待か否かは物的証拠や状況証拠がなくても

可能性のひとつとしては考えられるかもしれません。

 

ただ、それ以外の可能性もあります。

管理されていない犬や猫ならば感染症の疑い。

または、なんらかの病気の疑い。

そのほかにも毒餌ではなく故意のない毒を口にした可能性もあります。

 

それは何かと言うと春先から夏にかけてならば

除草剤なんかは意外と可能性あるかもですね。

除草剤が散布された草を食べれば

死ぬ場合は十分にあります。

 

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白でもない黒でもない

いわばグレーな事って色々なところで出てきます。

 

そのグレーの場合において

自分の気持ちとしては「こうなんじゃないかな?」と

推理、推測くらいは出来たにせよ

断定はできないのですよね。

 

グレーな問題ほど、その答えが出せない場合が多いです。

だからこそ様々な原因の可能性があると言う視点を

持つことは大事なことなんですよね。

 

グレーな問題は「個々の感情から出た推測」にすぎませんから。

 

どうも

 

「たぶん〜だろう」

「もしかしたら〜かもしれない」

 

の話を

 

こうだった、ああだった、きっとそうだ

 

と、さも本当かと思うような書き方をする人が目につくんですが

誤解を招くし、そこから話って枝葉つきますからね。

しかも、これが話の一人歩きが始まると

枝葉も広がり、立派な木になっちゃいますから

そうなると元のグレーだったはずの話題が

いつしか全く出元すら無視な話題になってることがあります。

 

ありますって言うか

あるあるじゃないかな。

 

 

グレーな話題ほど慎重に

また発信するにも言葉の誤解は

要注意するべきだと思いました(*´ㅂ`*)