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犬ばか美容師♡

その犬との出会い②

記:jun.y  後編②

 

 

しかし夫婦は、その犬を里親に出すことを躊躇していた。

自分達が出来なかったことを他人に託すこと

またセンターから迎え、仲介された方々に

無責任だと叱咤されたこと

様々な思いが交錯し悩んだ。

 

里親を探すならば

センターに再度引き取りをしてもらうのが

一番の解決ではないかと考えていた。

 

けれど持ち込むことは

処分になりかねない。

それはしていいことなのか。

答えが出ないまま犬に気を使いながら

暮らしていた。

 

そんな経緯を聞きながらも

その犬は見ず知らずの私に対し

扉の奥から、ずっと吠えていた。

 

正直、私も悩んだ。

一度は引き取るつもりで

背景の見えない犬の里親になると

軽々しく判断していた。

 

でも、その気持ちは大きく揺らいだ。

私に飼うことが出来るだろうか。

 

けど疲れ切った顔で

私達が来ることで、現状から解放されるかもしれない

そんな思いも、この奥様にはあったと思う。

それは人の心情としてはあってもおかしくない。

 

その場は話しで終わらせ私は一旦帰宅し

後日、家族と話し合い、その犬を迎えることにした。

 

理由は自分の知り合いに

トレーナーがいたことや

私が在宅の仕事なので四六時中、

共にいれること。

また住宅事情として

混み合った地域ではなかったので

なんとかできるかもしれないと思った。

 

少なくても環境的な問題や

扱い方の問題もあるのではないかと

考えていたので環境が変われば

何か解決するかもしれないとも考えた。

 

それと同時に無責任にも

犬の扱いが満足にできず

環境的な事情も含め

簡単にセンターから、この犬を出し

安易に譲渡し、その後なしのつぶてで

ことあるごとに飼い主の愛情が足らないなどと

一切の責任を、夫婦に転換した

愛護団体(個人か団体かは不明)にも

腹正しい思いだった。

 

彼らは救っているつもりかもしれないが

結果、人間も犬も生き地獄を味わっている。

互いに神経を尖らせて暮らしている事態になっている。

 

私から見て、この夫婦は

ごく普通の愛犬家だったと思う。

けして虐待をしたわけではなく

犬がとても好きな夫婦だった。

愛情が無かったことはない。

 

けれど、この犬を飼うことは出来なかった。

犬が大好きな夫婦であっても

寛大になるには限界があった。

 

犬との暮らしは人間の暮らしがあって

その中に置かれるもの。

人間の暮らしに弊害を起こしてまで

責任を持つことなど出来ないのは

当然のことなのではないだろうか。

 

私には、この夫婦を責める言葉はなかった。

安易にと言えばそうかもしれないが

安易にならないために見極めて

適材適所のように、その人間にも犬にも

適した場所に譲ることが出来るのが

愛護団体なる人達のできることなんじゃないだろうか。

 

この犬が、この夫婦の元に来る前

どこで生まれて、どんな暮らしをしていたのか

人と共に暮らしていたのか

それとも野良として生きていたのかはわからない。

 

少なくても、まだ若いこの犬は

センターに収容された後、

慣れない場所での不安な思いを抱えながら

夫婦の元に、更に不安が増す飛行機という手段で

届けられ、また慣れない場所での暮らしになり

この犬にとっての1年は、休まる事は

果たしてあったのかとすら思った。

 

 引き取ると決めた日、夫婦は私に

たくさんの手土産をくれた。

まだ新しい首輪とリードもくれた。

首輪を新しいものに付け替えることすら

「噛まれたら」という不安から出来ず

買ったけど元から付いていた首輪のままだったと言う。

 

その話に、とても切なくなった。

もう犬を飼うことは辞めたい、

特にセンターから迎えることは・・と

言う言葉を聞いて本当に罪な経験を

させてしまったんだなと思った。

 

もし、この夫婦が扱える範囲の犬だったら

夫婦は、こんな諦めを口にすることはなかったはず。

 

譲ると言うのは、こうした責任もある。

犬というものは怖い生き物だ。

でも犬というのは人間の暮らしを

よりhappyにしてくれる生き物だ。

 

どちらになるか。

 

よりhappyになることを正確に伝えなければ

犬と暮らしたい人を減らすだけだ。

 

それは罪なことだと思うのです。

 

この犬は今、私の元に来て1年半が経ち

その間、何度か、この犬は人と暮らすことは

幸せなのだろうか?生きていることは

幸せなのだろうか?と本当に考えた場面もたくさんあった。

 

そして以前、友人が闘犬を飼っていた時のことを

度々思い出した。

 

同居していた私の母親の足に噛み付いたことがあり

母親は15針も縫うケガをした。

それ以来、私と犬は母屋の離れにある

空き家の部屋で生活を始めている。

 

この犬との距離が少しずつ近づき

特に酷かったフードに対する独占反応などは

大幅に緩和され、犬が自らの判断と行動で

人間に歩み寄りをみせるようになったけれど

ここに至るまでは、本当に何人もの

専門的な知識を持つ友人などの助言や

また実践を繰り返した。

 

それは今もまだ継続中で

それでも他犬に対する反応は緩和されていない。

 

この犬に対して弱い、マイナスの面が

強化されないよう私も分からないながらも

学びながら暮らしている。

 

少し前に知り合いから

行き場のない犬がいるのだが

引き取ることは出来ないか?と打診されたが

即答で断わった。

 

私は今この犬と向き合い責任をもって

育てていかなければならない。

私はこの犬が、よりhappyになるように

飼い主として大切にしてやらなければならない。

 

だから、即答で断わった。

 

うちは常に3、4匹の犬と人間が

生活を共に送ってきていて

たまたま、老衰や病気でみんながいなくなり

この犬だけの暮らしなので

この犬が他犬を受け入れる器量があれば

話は断らなかったかもしれない。

 

けど、その器量がない犬がいる以上

私にとって守りたいのは、この犬なのだ。

 

世間ではセンターでの殺処分ゼロを掲げて

どんな犬でも殺さず生かすことが

まるで正しいことのように騒がれている。

 

でも思い上がらないでほしい。

殺さず生かした結末は

人間と犬が全てhappyになる結末ばかりではない。

 

その責任も取れない、それが理解できない、

ただの可哀想な感情論だけで

騒いでいるのは全てにおいて

人間だけの勝手な理屈であることを。

 

こんな事態が当然の主張として

まかり通っているならば

犬のことなど何も考えていない

最低な行為である。

 

 

2016.8.14  jun.k  

 

 

 

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以上、引用。