虎太郎が好きなんです♡

犬ばか美容師♡

総合的な背景から見極めていくこと。

 

見極めてほしい、本当に。

結構これ、切実かも。

 

SNSなんかが流行り

ネットと言う手軽に閲覧したり

情報を得たり拡散することが可能になり

それはそれは便利な世の中で

 

日本からは遠い他国で起こっている

悲惨な戦争のことや

様々な身近なニュースまでも

拾い上げ知らなかったことを知ることが出来て

これは時に本当に素晴らしいことなんだけど

 

私のこのブログの主な内容をベースに考えるならば

「犬」「猫」の問題。

 

特に以前、このブログにも書いた

愛護活動とやらの問題。

 

感情の操作 - 虎太郎が好きなんです♡

動物愛護の間違った解釈 - 虎太郎が好きなんです♡

 

 

あるひとつの犬の死骸の画像を掲載するとする。

そこに「この犬は虐待された」と文章を添付すれば

閲覧している人は「虐待死」と言う見方で死骸の画像を見て

可哀相だ残酷だ酷いと怒りをぶつけます。

 

動画でも同じで、

犬猫に関して専門的な知識がしっかりあり

分かる人なら分かるかもしれませんが

以前、子猫のミルクの飲み方がバチャバチャこぼし

それが面白いと笑いで沢山シェアされてました。

それはどう見ても何らかの異常がある行動で

発作を起こしているかのような動画でした。

 

でも「おもしろ動画」として出されたからか

ウケる!笑える!なんて飲むのが下手なの!と

笑いに同調した多くのコメントがついていました。

 

違うパターンもいくつもありましたね。

野犬を保護して思い切り警戒しているのに

無理やりリードをつけて散歩。

慣れない行為に拒否反応を起こしている犬に対して

「これじゃあ、虐待してるみたいやーん(笑)」

と、その保護した人は文章をつけ

閲覧している人も笑いで「がんばれ〜」と。

 

個人的には見ていて憤りすら感じましたね。

なんて手荒い扱いをしてるにも関わらず

それすらも慣れるための訓練だと言わんばかりに

記事元が出しているから、そんなもんだと同調するコメント。

 都合のいい犬を飼えばいい。 - 虎太郎が好きなんです♡

 

真逆のパターンでは

どう考えても背景や状況を調べてみれば

明らかな動物福祉に反した行為であるにも関わらず

「きちんと適性な管理をしていた上での病死」と、かなり強引な文章が添付されていた件もあったわよね。

 

関西のアイゴ崩壊 - 虎太郎が好きなんです♡

 

(3)動物保護施設で一体何が… 社会問題 /兵庫県

 

 

 

更に今、まさに進行中な話がこれ。

山口県の野犬問題。

周南市の野良犬たちのために……フードやおやつのご支援を!!せめて美味しいものを食べさせてあげたい|小さくても尊い命…

 

でも、これに関して

反対意見が出ています。

日刊新周2016年3月24日のニュースピックアップ

 

なぜ野犬にエサをやるの?ダメなの?

 

2つの反する話を見て

「どちらが正しい意見と思いますか?」と言うことです。

 

簡単にまとめると個人的には

「空腹は可哀相だから餌をやるのは当然」と言うものと

「餌やりをする事で生じる問題点がある事から

餌やりはしないでほしい」と言うものです。

 

ひとつは「感情的な意見」

ひとつは「確たる根拠と理由があっての意見」

 

更にはここ数日になって

真実かどうかも根拠のない話だと思うのですが

確たる事実として話に盛り付けされてますね。

 

 

こういうのって、そのままを見て

画像や動画、そこにつくタイトルやコメントで

判断して突発的にストレートに受け止めて

同調するのは仕方ないことなんです。

見たままであれば。

 

ので、面白いと出ていたものには面白い。

残酷だと出ていたものには酷い。

可哀相だと出ていたものには可哀相。

 

出している側が、その部分をピックアップして

そう同調されることを目的として出してる訳ですからね。

 

ただ、ひとつの話題に対して

もし「それはおかしくないか?」

「いやいや、それは違うよ」と言う意見を

目に止める機会があれば非常にわかりやすいですね。

仮に違う意見がなかったとしても、

 総合的に冷静に見極めてほしいんです。

 

 

例えば私が憤りを感じたと言う問題のシーン。

この投稿主は、善意で行き場のない野犬を保護して

なんとか人間に慣らそうと必死なのか、

もしくは人間の都合に強引に合わさせようとしてるのか

意図はわかりません、どちらかでしょう。

つまりは人間側の史観でやってる行為と

これが良いことと思い込んでる行為です。

 

では、今まで人間にリードで繋がれた経験もなく

人間と言う存在と共生していなかった犬にとっての

そのシーンの心理状況はどうでしょう?と考えてみてください。

 

人間が思う「良いことをしている」思い込み

人間が思う「なんとかしたい」思い込みで

そこには犬側の気持ちは、ひとつもありません。

少なくても人馴れすらしていない野犬です。

今まで人間に警戒しながらも本能のままに

自由に生きてきた暮らしから

警戒してきた人間に管理され限られた空間で

生きなければならない野犬にとって

短い時間で、人間の都合に合わせて

人間の望むようにさせられる事に

ストレスが掛からない訳がない。

イエイヌより負担は大きいはずです。

 

だから私は「がんばれ」ではなく「憤り」を感じました。

 

動物愛護団体崩壊による件もそうですね。

いくら人間がやれることはやってきた

今まで沢山救ってきたなどと言ったとしても

現にそこにいた犬や猫は見るも無残な姿だったことは

紛れも無い事実なわけです。

 

いくら適性な管理やケアをしてきた(つもり)であっても

結果、どう大目に見ても自分自身も犬を飼っていれば

あんな風になること自体が想像を超えたものでした。

少なくても、その疑問を払拭するような話は

全く出てこなかったと思います。

 

以前、可哀相と言う感情を掻き立てるような

コメントを添えた投稿は、閲覧している人の

感情を操作しているにすぎず、

感情と言うものは冷静さを失わせるので

無責任な行為だと言うことをブログにも書きました。

 

 可哀相だと思う義慈の精神は素敵なことなんです。

犬や猫が好きな人ならば誰でもある心理です。

1匹でも人間と共に穏やかに暮らさせてあげたいと

誰もが思うのは当たり前のことです。

可哀相だと煽っている人だけが、その思いが

本物で強い訳じゃない。

 

でも人の感情の冷静さを失わせるような

感情を操作するような根拠のない情報は無責任です。

 

その事が理解できないまでは

本当に限られた一部の人間にしか

犬や猫の保護活動は浸透しないです。

サイレントマジョリティ(物言わぬ大多数)は

少なからず離れて行くと思います。

 

私は特別、保護活動を率先してやっている訳でもなく

ごく一般の愛犬家の友達の方が圧倒的に多いです。

みなさんサイレントマジョリティです。

そして確実に私が上記にあげた話題については

首を傾げながら静観してます。