虎太郎が好きなんです♡

犬ばか美容師♡

犬が好きならば無駄な試練は与えないでほしい

 

もうタイトルそのまんま。

本当に最近またこれを思うようになった。

 

犬を救いたい、助けたい、

なんとかしなきゃ死んでしまう

生きてこそ幸がある

 

人間の史観で、人間がやりたい事をやる中で

例えそれが人間から見ての善意であっても

本当にそこにある「犬のココロ」は

どこまで考えているのかと言えば

どう捉えても、人間の史観と感情論しか見えてこない。

 

どこまで「犬のココロ」を考えているか。

犬のためだと言いながら

完全に欠けているのは、この部分と言うのは

致命的な事だと思う。

 

犬を人間の生活の中に入れて

愛情をかけて共に暮らしていくというのは

人間の管理下に置くことで安全や安心と言った

保証は確実にある。

 

けれど、犬と言った動物的な視点で考えれば

動物としての本能の部分など

様々な抑制を与えなければならない訳です。

 

野生の中で犬が思うように好きなように生かす訳ではないのだから

この理屈は頭を悩ませなくても解りきった事です。

 

人間の暮らしの中で人間の社会的なルールを

教えていくことで、その犬が安全と安心を得ることができます。

 

もし犬が好きなように自由に生きていいならば

そんな事を教える必要もないわけです。

 

散歩でリードも不要でしょう。

避妊去勢も不要でしょう。

手入れも不要でしょう。

トイレトレーニングも不要でしょう。

コマンドも不要でしょう。

 

けどこうした、ひとつひとつの事は

人間と暮らしていく中で、安全に、または

人間にとって脅威となる存在にならない為にも

人間側が必要としている部分なんです。

 

人間の管理下にある犬は

野生で自由に生きている動物ではなくなります。

人間の暮らしに合わせた本能の抑制や

コントロールをする事が大前提になります。

 

けれど、そこには安全と安心があります。

その中で犬は人間との暮らしに順応していき

時間をかけ少しずつ、安らぎを得ます。

 

犬は人間と暮らす上で

人間にとって当たり前のことひとつ

全て学び、学習しているんです。

 

普通に人間と暮らすだけでも

たくさん頑張ってくれます。

 

それなのに、それ以上に

人間の勝手なる解釈と

人間の都合のいい美談にするがために

これ以上に試練を与えるような

保護活動というものが

あまりにも目について、本当にいたたまれない。

 

 

前にもブログに書きましたが

野犬として生きてきた人間と接触のなかった犬を保護し

抵抗しているのに首輪とリードを装着して

強引に散歩に連れ回し、慣らそうとしている

ある保護活動家の動画。

 

首輪をつけてリードをして散歩をする行為を

当たり前に考えていて、かつ数をこなして

毎日やれば慣れるだろうとでも言いたいのか

その数秒の動画の中にすら

この保護活動家の身勝手な人間軸の考えが

露骨に出ていたと思う。

 

犬は好きなんだろうが

こういうのを愛情の押し付けというんですね。

 

 その犬が自ら選択する、その行動の先に

私達、人間にとっても良い結果をもたらすこと。

それは基本だと思うのです。

 

強制することではなく、その方向へ導いてあげること。

 

それがどういう事なのか、何を意味するのかが

理解できていない人が、様々な習性があり

様々な環境の中で、それぞれ違った個性を持つ動物に対して

人間の都合にはめ込もうとやっている行為は

強制という虐待と言ってもいいんじゃないかと思うのです。

 

そして、こうした基本的な部分、

犬の気持ちやココロを汲み取っていこうということに

視点がない人の場合、自身のなんの根拠もない

ただの経験値だけを語り当然のように犬を扱います。

 

ある行動学に対する意見を倫理的に述べたら

「どこの偉い方が言ってるのか知りませんが」と前置きされ

ご自身の思い込みと経験値からの根拠ない反論をされたことがありますが(笑)

 

どこの偉い方が・・なんて言い出す段階で

基本的な事が叩きこまれていない証拠を露出してるようなもの。

 

そも、人の話を聞き、また学び、

その姿勢が全くないのも

「経験値の思い込みと押し付け」でしか

動物に接することが出来ない激昂型の方が

多いようにも感じます。

 

 

人間社会で暮らす犬に

無駄な試練は与えないでほしい。

本当に痛切に願いたいことです。